なんでだろうな
朝、目が覚めて、最初にしたのは指を見ることだった。
人差し指の腹。弦の跡が、まだうっすら残ってる。昨日まであんなに弾いたんだから当たり前か。でも痛いっていうより、なんか、これが嬉しい。証拠みたいで。
俺はベッドから降りて、壁に立てかけたギターを取った。
SG。けんじさんの店で調整してもらったやつ。赤茶色のボディで、けっこう古いやつだから、塗装があちこちくすんでる。でも俺は、その感じがなんか好きだ。角が尖ってて、構えるとちょっと強くなった気がする。気がするだけかもしれないけど。
アンプにはつながない。朝だし、まだ家のみんな起きてるかわからないし。生音だと、エレキはびっくりするくらい小さい。シャカシャカ、みたいな。でも俺はこの小さい音、嫌いじゃない。
膝に乗せて、コードを押さえた。
ジャジャジャッ、ジャジャジャッ。
イントロのところ。何回もやったから、もう指が勝手に動く。
最初は全然だった。ヒロが4小節弾いて、そこに入るタイミングがどうしても遅れた。半拍くらい、後ろから追っかける感じになって。でも昨日、合った。3人で、ちゃんと合った瞬間があった。
あれ、なんだったんだろうな。
うまく言えない。すげー、とは言った。確かにすげーんだけど、すげーだけじゃなかった。なんか、3人の音が一個になった瞬間、背中のあたりがぞわっとした。鳥肌っていうのとも違う。もっと、こう。
わかんねえ。
俺はもう一回、頭から弾いた。一人だと、当たり前だけど一人の音しかしない。昨日のあれは、ここにヒロのギターと、ユウジのギターがあったから鳴ってたんだ。
一人だと、足りない。
それに気づいて、ちょっとびっくりした。前はそんなこと思わなかったのに。
弾きながら、ふっと、店のことを思い出した。
最初にけんじさんの店に行った日。女の子が二人いた。一人が、いきなり話しかけてきた。
「君たちもギター弾くの?」
明るい人だった。ぐいぐい来る感じ。俺、つい「超絶初心者です!」って言った。なんであんなこと言ったんだろう。かっこつけたかったわけでもないのに、口が勝手に。
ミキさん、っていう名前だった。
一個上だって言ってた。
……いや、別に。
俺は指を止めた。止めてから、止めたことに気づいた。
なんで今、あの人のこと思い出したんだろう。ギター弾いてただけなのに。ミキさんもギター始めるって言ってたから、かな。同じことやってるから。たぶんそれだ。それだけ。
そう思って、また弾こうとした。でもさっきまで勝手に動いてた指が、急にぎこちなくなった。
「……なんだよ」
声に出して言った。誰もいない部屋で。
ちょっと笑えてきた。自分が。
ミキさんの何が、っていうのは、わかんない。
明るいとこ、かな。初対面なのにいきなり話しかけてくるとことか。ユウジなんか急に敬語になっちゃって、あれ面白かったな。俺も人のこと言えないけど。
でも、それだけじゃない気もする。
「気になる人いるの〜」って、ヒロの姉ちゃんにからかわれたとき、俺は「やめてくださいよ!」って言った。本気で否定はしなかった。できなかった、っていうか。ユウジには「動機が不純」って言われたけど、それも、まあ、ちょっとはそうかもしれない。ちょっとは。
でもギターやりたいのは本当だ。それは嘘じゃない。
両方なんだよな。たぶん。ミキさんのことも気になるし、ギターも本気でやりたい。どっちかが嘘ってわけじゃなくて、両方ほんと。なんでだろうな。一個に決まんないのかな、こういうの。
俺はギターを抱えたまま、しばらく窓の外を見てた。
夏の朝の光が、もう結構強かった。今日も暑くなりそうだった。
「……行くか」
ギターをケースにしまった。今日もヒロんちで練習だ。ユウジとは駅で待ち合わせ。考えても答え出ないし、3人で弾いてりゃそのうちわかるかもしんない。わかんなくてもいいか。
ケースを背負ったら、急にいつもの感じに戻った。なんか知らないけど、これ背負うと元気出る。
駅前に着いたら、ユウジはもう自転車にまたがって待ってた。
「おせーよ」
「まだ時間前だろ」
「俺が早いんだよ」
いつものやつだ。俺は自転車のスタンドを蹴り上げた。
「タクヤ、お前、寝ぐせついてんぞ」
「マジ?」
頭をさわった。後ろのほう、ぴょんって跳ねてた。俺は手で押さえた。押さえても戻った。
「ヒロんち着く前に直せよ。みっともない」
「うっせーな」
ユウジはちょっと笑って、先にこぎ出した。俺もついていく。
並んで走りながら、ユウジは何も聞いてこなかった。俺が朝、何考えてたかとか、そういうの。ユウジはそういうとこ、聞かない。聞かないけど、たぶん、なんとなくわかってる気もする。気のせいかもしんないけど。
ペダルを踏んだ。風が、寝ぐせのあたりを通り抜けてった。
朝のことは、もう半分くらいどっか行ってた。残りの半分は、まだ指の腹に残ってた。
ヒロの家の前で自転車を停めた。
見慣れた玄関。何回も来てる。お父さんが譜面作ってくれた家。お母さんが昼に飯出してくれる家。
ユウジが「押せよ」って顎で示した。インターフォンのこと。
俺は指を伸ばした。さっきまでギター押さえてた指で、ボタンを押した。
ピンポン。
中で音がするのが、ドア越しにかすかに聞こえた。それから、誰かが階段を降りてくる音。たぶんヒロだ。歩き方でわかる。
ドアが開いた。
「おはよ」
ヒロが言った。まだちょっと眠そうな顔で。
俺は背中のギターを揺すり上げて、できるだけいつもの声で言った。
「よっ。今日も始めようぜ!」