仲間になる
「――ジャーン」
黒と白のテレキャスターから、少し歪んだ音が部屋の空気を震わせた。指先にはまだ、弦の硬い感触が残っている。
「どう? なかなか良くなってない?」
少し胸を張って見せると、ベッドの端に座っていたミキが、これ以上ないくらいに目を丸くした。
「奏、すごい……! すごいよ、今の!」
心の中で、小さなガッツポーズが弾けた。叫びたいくらいの感覚が喉まで上がってくる。暑い中、指先を真っ赤にしながら毎日弾き続けた甲斐があった。自分、よくやった、と思う。
「なんかさ、ホンモノみたい!」
ミキがベッドから身を乗り出して、ギターのボディを覗き込んできた。子どもみたいに真っ直ぐな食いつき方が、おかしくて、なんだかやたらと嬉しい。
「いや、最初からホンモノだから」
わたしはわざとすました顔で、ネックを少し持ち上げてみせた。
「あのね、昨日のレッスンでも、テツヤ先生に結構褒められたんだよ」
「そうなの!? 奏、やっぱり天才じゃん! 頑張った、エライ!」
自分のことみたいに両手を叩いて喜ぶミキを見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。あの時、この子がわたしの背中をぐっと押してくれなかったら、今こうして部屋でギターを抱えている自分はいなかったかもしれない。言葉にすると照れくさいけれど、そういう確かなものが、二人の間にある気がした。
「……でも、もうすぐ夏休み終わるね〜」
ミキがぽつんと言って、視線をフローリングの床に落とした。
胸の奥が、ちくっと小さく跳ねる。
ギターを膝に乗せたまま、何となく窓の外を見つめた。ベランダ越しに見える空の色が、夏の真っ盛りとは少しだけ違って、どこか遠くなっている気がした。
今年の夏休みは、今までになく濃かった。毎日ギターを触って、できないことと向き合って、それが少しずつ指に馴染んでいく感覚。自分が新しく変わっていく実感はあるけれど、それがどこへ向かっているのかは、まだよく分からない。でも、悪くない夏だった。
「ミキの方はどうだったの? 勉強、大丈夫?」
「あ、聞いてよ! 私、天才かもしれない。この前の夏期講習のテストね、なんと3位だったの!」
「え、本当に!? すごいじゃん!」
「ふふん、夏休み中、シーさんにべったり見てもらってたからね!」
ミキは胸を張って、自分の鼻を人差し指でツンと突いた。
「そうなんだ。シーさん、優しいね」
「そうなの。あ、そうだ、忘れるところだった。ねえ奏、ヒロくんたちさ、3人でバンドの曲をコピーしてるんだって。なんか、ブラックなんとか、っていうやつ」
「え? ヒロくんたちが、コピー?」
「そう、毎日3人でヒロくんの部屋に入り浸って合わせてるらしいよ?」
あの、ケンジさんの店で出会った3人。テツヤ先生の教室の生徒でもある彼らの顔が浮かぶ。先生からは何も聞いていなかったけれど、そっか、彼らはもう、曲を演奏しているんだ。
わたしは、まだコードをいくつか覚えただけ。一人で部屋で、ジャーンと鳴らして喜んでいるだけなのに。
一瞬だけ、冷たい風が背中を通り抜けたような焦りが、胸をかすめた。
「奏? 大丈夫? なんか顔が怖い」
「え? あ、ううん、何でもない。……少し、焦っちゃったかも」
ギターの弦に触れていた指先を、ぎゅっと握りしめる。
「ははーん、なるほどね。ヒロくんたちが進んでるからでしょ? でも大丈夫、シーさんがね、良いこと言ってたから」
「シーさんが?」
「うん。始めたばかりの頃って、どうしても周りと比べて落ち込んだり、ちょっと弾けて喜んだりしちゃうんだって。でもね、半年もすればそんな最初の差なんてなくなっちゃって、みんな『仲間』になるんだよ、って」
仲間になる。
その言葉が、耳の奥でトンと跳ねた。
ケンジさんの店の賑やかさ、テツヤ先生が「続ければね」と言ったときの静かな声、そしてあの奥の部屋で感じた「仲間になれそうかも」という予感。色々な景色が、頭の中でひとつに繋がっていく。
「そっか。仲間、か……」
「そうだよ! だから焦る必要ナシ! それにね、私も大学が決まったら何か楽器始めるから。奏とバンド組むことだけは、もう確定ね!」
「えっ、そうなの? いつ決めたの、それ」
「今! 奏がギター持ってる顔見てたら、なんか思いついちゃった!」
ケラケラと弾けるように笑うミキを見ていたら、焦っていたのが馬鹿らしくなって、わたしも一緒になって笑ってしまった。まだ何も決まっていない、ただの夢みたいな宣言だけど、ミキが言うと本当にそんな未来が来るような気がしてくる。
「あ、そういえば奏。明日から学校、文化祭の準備期間でしょ? 夏休みが終わるまであと3日だけど、頑張ってね〜」
「あー! もう、せっかく忘れてたのに! ミキの意地悪!」
「あはは、現実逃避はダメでーす!」
また二人の笑い声が重なって、部屋の空気に溶けていく。
窓の外を見ると、空はすっかり茜色に染まり、静かに夜の気配を連れてこようとしていた。
夏休みは、終わるのだ。