いつもの道
「奏ってもうテスト勉強してるの?」
隣を歩くミキが、いつもの調子で聞いてくる。
「まあ、ぼちぼちとね」
「できる子はすごいねえ」
そう言うミキの顔は、全然羨ましそうじゃない。それがおかしくて「当たり前じゃん!」と返すと、視線が合って二人でケラケラと笑った。小学校の頃からずっと繰り返している、なんてことのないやりとり。何年経っても飽きないのは、お互いにこの空気感が心地いいと分かっているからだと思う。
さっきまで降っていた雨のせいで、学校帰りのアスファルトはまだ濡れていて、草と土が混ざったような匂いがうっすらと漂っていた。空気がどこかやわらかい。空の端からじわじわと橙色が染み出し始めていて、歩くたびにわたしたちの影が引き延ばされていく。
「そういえばさ」
ミキが急に声のトーンを跳ね上げた。「リオの新曲聴いた?」
「聴いた聴いた。路線変更で、急に可愛くなってたよね」
「だよね〜! やっぱり一般受けを狙ったのかな?」
「商売だからねえ」
本当は「でも、すごく好き」という気持ちが先にある。なのに、それをそのまま認めるのが少し悔しくて、いつも「商売だから」なんて冷めた言葉を先に口に出してしまう。
「でも、好きでしょ?」
見透かしたようなミキの言葉に、「当然!」と笑って返した。
「商売でも好きなものは好きなの!」
それはそうだ、と心の中で同意する。売れるための戦略だろうが何だろうが、良いものは良い。ミキのそういうまっすぐなところが、ときどき少しだけ羨ましくて、眩しい。
路地に入ると、見慣れた住宅と小さな個人商店が混ざり合う、いつもの通学路になる。その少し先に、小さな看板を掲げた古い楽器屋が見えてきた。
この店の前を通るとき、わたしはいつも無意識に歩幅が小さくなる。
引き戸の向こうから、ときどき楽器の音が漏れてくるのだ。優しく爪弾かれる弦の音や、何かを刻むようなリズム。その音を耳にするたび、なぜか胸の奥がざわっとする。けれど、一度も中に入ったことはない。理由はうまく言えないけれど、入ってはいけない気がする。
「……だから、前の路線も捨てないでほしいよね――」
ミキの楽しそうな声を聞きながら、楽器屋の前に差し掛かったそのときだった。ガラガラ、と引き戸が鳴る音が響いた。
あ、と思って視線を向ける。
男の子だった。
手にギターケースを下げて、引き戸の前に立っている。わたしと同じくらいの年齢に見えた。制服を着ていないから、きっと違う学校の子だろう。夕方の橙色の光を背中に浴びながら、そのまま店の中へと消えていった。
静かに、引き戸が閉まる。
気づいたときには、わたしの足が止まっていた。
肩にかけた鞄が、慣性でトボッと体に当たって初めて、自分が立ち止まっていることに気づいた。耳の奥で、ミキの声が少し遠くなったような気がする。
「奏?」
振り返ったミキの声で、ハッと我に返った。
「ごめん、ちょっとぼーっとしちゃった」
「テスト疲れじゃない?」
「そうかもね」
苦笑いしながら、また足を動かす。
引き戸はもう、ぴったりと閉まったままだ。中からは何の音も聞こえてこない。
さっき入っていった男の子のことは、何も知らない。ただ同じくらいの年の男の子が、ギターケースを持って楽器屋に入っていった。本当に、ただそれだけのこと。
それだけのことなのに、なぜか胸のあたりに、言葉にできない何かがずっと残っていた。
「明日どこ受ける?」
前を歩くミキが、振り返らずに言った。
「え、何が?」
「だから模試! もう、聞いてないし!」
「あ、ごめんごめん。えっとね――」
慌てて歩調を合わせ、言葉を交わしながら歩いていく。
橙色の空が、だんだんと暗くなっていった。
