もう一回
楽譜をもらってから2日目。今日も午前中から、ぼくたちは必死に練習してた。
「なぁ、俺のリズム合ってるかな?聞いてて?」
タクヤが聞いてきた。ぼくもユウジも、耳を澄ませて聞き入る。
ジャジャジャッ、ジャジャジャッ、ジャジャジャジャーン。
「合ってると思うよ。イントロっぽいよな?」
ユウジがぼくに言ってきた。
「うん、かっこいいよ!」
タクヤは少し照れながら言った。
「マジ?指痛いけど、できてれば嬉しいな!」
「じゃあ、今度は俺のも聞いて?」
ユウジがギターを弾いた。
ズンタラ、ズンタラ、タラララーラララ。
「すげーじゃん!ちゃんと聞こえるよ!」
タクヤが前のめりで言った。
「近いよ。くっつくな!」
ユウジが照れながら言った。
「なぁ、ヒロが4小節弾いたら、俺たちが合わせて入るんだよな?合わせてみようか?」
「え?」
ぼくは驚いていた。いきなり合わせるの?できるかな?
「そうだよ。ヒロはもう弾けるじゃん!」
「一応弾けるけど……」
躊躇していると、ユウジが言った。
「大丈夫。俺たち必死で練習したんだ。間違ったら、また練習すればいい」
「わかった。やってみようか……」
ギターを構え直して、緊張しながら言った。
「じゃあ、弾くよ?4小節弾いたら、入ってきてね」
ぼくは息を一度吐いて、指を弦の上に置いた。
1、2、3、4——頭の中で数える。ゆっくり。急がない。急ぐと、また指が迷子になる。
ジャン、ジャン、ジャラッ——
4小節目の終わりで、タクヤが入ってきた。
ジャジャジャッ——
遅い。半拍くらい、後ろから追いかけてくる感じだった。
ユウジも続いた。
ズン、タラ——
3本の音が、ぼくの部屋の中でぶつかった。扇風機の音のあいだに、一瞬だけ重なって、すぐバラバラになった。
ぼくは手を止めた。
「ごめん、遅かった?」
タクヤが聞いてきた。
「うん、ちょっとだけ」
「じゃあもう一回」
言われるより早く、もうギターを構えていた。タクヤって、止まるのが苦手なんだと思う。
2回目。
今度はタクヤが少し早かった。ユウジは合ってた。ぼくの4小節の最後で、3つの音が一度に重なった瞬間があった。
——あ。
なんか、した。
うまくはない。どれか一つはまだズレてる。でも、さっきまで別々だった音が、一瞬だけ同じ時間の中にいた。
「……今の、なんかあったな」
ユウジが言った。
「あった!」
タクヤが膝の上のギターを抱きしめるみたいに持った。
「あったよな!もう一回!」
「え、もう?」
ぼくが言うより早く、3人とも動いていた。
3回目。4回目。5回目。
指先が痛い。午前中からずっと弾いてて、人差し指の腹に弦の跡がくっきり残ってる。汗が首の後ろを伝う。扇風機の風が、汗ばんだ額に当たって、少しだけ気持ちいい。
6回目。
ジャン、ジャン、ジャラッ——
ジャジャジャッ、ジャジャジャッ——
ズン、タラ、ララ——
今度は、タクヤが遅れなかった。
ユウジも。
ぼくも、4小節目の最後で指が止まらなかった。止めなくていい、と体がわかっていた。
音が消えたあと、部屋が急に静かになった。
外から蝉の声が一つ、遠くで鳴った。夏の午前中が、まだ続いてる。
「……すげえ」
タクヤが小声で言った。いつもの大きな声じゃない。照れてるのか、びっくりしてるのか、わからない顔だった。
「うん」
ユウジも短く言った。
ぼくは何も言えなかった。
胸のあたりが、なんか熱い。上手くなった、とか、うまくいった、とか、そういう言葉より先に来る感じ。あの日、一人でコードを繋いで「曲になってる」と思ったときのこと、ぼんやり思い出した。あれはぼくだけだった。でも今は、違う。
「……もう一回、いい?」
ぼくの口から出た。自分でも少し驚いた。
「いいに決まってんじゃん!」
タクヤが笑った。ユウジも、口角だけ上がった。
ぼくはギターを構え直した。
床に広げた楽譜。父が夜中まで作ってくれたページ。ヒロ、タクヤ、ユウジ——名前が書いてある。まだ全体は全然弾けない。サビも、歌も、まだ先の話だ。
でも、イントロだけは——今、3人で鳴らせた。
「じゃあ、もう一回」
ユウジが言った。
「4小節、いくぞ」
ぼくはうなずいた。
指を弦に置く。1、2、3、4。
また、弾き始めた。
7回目。8回目。9回目。
何度目だろう。数えてない。数えなくていい、とわかってきた。間違えたら、またやる。ユウジが言ったとおりだ。それだけで、肩の力が少し抜けた。
10回目くらいで、タクヤが急に言った。
「ヒロ、今のさ、最後の一音、一緒だったよな」
「……うん」
「マジで。俺、聞こえた」
「俺も」
ユウジが言った。
「ズレてない、ってわかる瞬間、あるよな」
ぼくは頷いた。ある。さっきまでなかったのに、今はある。
タクヤが「やった!」と言いかけて、ユウジに肘でつつかれた。
「うるさい。近所の人に聞こえる」
「いいじゃん、昼だし」
「いいじゃない」
ぼくは笑った。小さく。でも、ちゃんと笑えた。
3人で顔を見合わせて、またギターに手を伸ばした。理由はない。発表のためでも、誰かに見せるためでもない。合った瞬間が気持ちよくて、もう一回、もう一回、ってなっただけ。
11回目。
ジャン、ジャン、ジャラッ——
ジャジャジャッ、ジャジャジャッ、ジャジャジャジャーン——
ズンタラ、ズンタラ、タラララーラララ——
今度は、ぼくが息を呑んだ。
3本が、同じところで終わった。完璧じゃない。テンポはまだゆらゆらしてる。どこか一音、まだ濁ってる。でも——イントロ、っぽい。ちゃんと、曲の入口みたいな形になってる。
「……これ、イントロだ」
ぼくが言った。自分でもびっくりするくらい、はっきり出た。
「そうだよ!」
タクヤが言った。
「イントロだよ!Pretty Little Lieの!」
「まだ曲じゃないけど」
ユウジが言った。
「でも、入口は、ここだよな」
入口。
ぼくはその言葉を、しばらく頭の中で転がした。父の楽譜。夜中の仕事。お母さんの「楽しそうだったから」。全部、入口の先にあるものみたいに感じた。
「……もう一回」
今度はタクヤが言った。ユウジも「うん」と言った。ぼくも言わなくても、わかってた。
12回目。13回目。
14回目で、タクヤが「あ、指」って言って、ギターを膝に置いた。人差し指を見せてくる。真っ赤だった。
「お前、さっきから無理してんじゃん」
ユウジが言った。
「いや、まだいける」
「いけない」
「……じゃあ、あと3回」
「2回」
「2回でいいから、最後までやろう」
タクヤの目が、本気だった。ぼくも頷いた。ユウジも、ため息をついてからギターを構えた。
15回目。
16回目——最後。
ジャン、ジャン、ジャラッ——
ジャジャジャッ、ジャジャジャッ、ジャジャジャジャーン——
ズンタラ、ズンタラ、タラララーラララ——
音が消えた。
3人とも、しばらく動かなかった。
ぼくは膝の上のギターを見た。父のお下がり。くたびれた木目。黒ずんだ弦。昨日まで、ぼく一人で抱えてたもの。今は、タクヤとユウジのギターが、同じ部屋にあった。
「……楽しい」
小さく言った。照れくさくて、もう一度は言えなかった。でも、タクヤが「うん」と言った。ユウジも「うん」と言った。それで十分だった。
時計を見た。もうすぐ正午だった。お母さんが昼ごはんを作ってくれる、って言ってた。
「食べて、続きやろう」
ユウジが言った。
「当たり前だろ」
タクヤが言った。
「午後、サビのところ、ちょっとだけ触ってみようぜ」
「触るだけ?」
「触るだけ。決まってんじゃん」
ぼくはギターを壁に立てかけた。立てかけるとき、指先がちょっと震えた。疲れてるからだと思う。嬉しいから、かもしれない。
窓の外は、夏の光で白かった。
楽譜をもらってから2日目。ぼくたちは、まだ何者でもない。曲も、まだ途中。歌も、まだ出てこない。
でも、イントロだけは——3人で、鳴らせた。
それだけで、今日の午前は、なんか特別な時間になった気がした。