夏の前
三者面談は、思っていたよりずっと短かった。
先生が書類を一枚めくって、「奏さんは問題ありません」と言った。「成績も、生徒会の実績も申し分ない。推薦の枠は、ほぼ確実に取れます」。そのままお父さんとお母さんの方を向いて、「夏休みは、大学でやりたいことの準備に使ってください」と言った。
お父さんが「ありがとうございます」とうなずいた。お母さんも。
わたしも「ありがとうございます」と答えた。
終わりだった。
廊下に出ると、次の家族がドアの前で待っていた。お父さんが小声で「よかったな」と言った。わたしは「うん」と答えながら、少しだけ廊下の窓の外を見た。校庭の端で、蝉がもう鳴いていた。
教室に戻ると、クラスの友達が「どうだった?」と聞いてきた。
「普通に終わった。すんなり」
「いいな。うちは志望校のこと、もう一回考えてこいって言われた」
「それは大変だったね」
机の上には赤本が積んである。付箋の貼られたノート。消しゴムのかすがまだ残っている。
わたしの机の上には、何もない。
「奏はいいよね〜」と誰かが言った。
「何言ってんの」
ミキがすかさず返した。
「奏は努力家なんだから当たり前でしょ。知ってるじゃん」
「そうなんだよね〜、私の努力不足なのは分かってるんだよ! 奏ごめんね?」
笑いが起きた。わたしも笑った。
努力家。ミキにそう言ってもらえるのは、ありがたい。でも「努力した」と「やりたいことをやっている」は、たぶん少し違う。
夏休みは、大学でやりたいことの準備に使ってください。
廊下を歩きながら、先生の言葉がもう一度頭の中で鳴った。
やりたいこと。
言葉にすると、簡単そうだ。進路は決まっている。学部もおそらく決まる。それだけは確かなのに、「夏に何をするか」と問われると、なぜか答えが一拍遅れる。
窓から入ってくる日差しが廊下の床を白く照らしていた。暑い。夏休みまで、あと少し。
下駄箱でミキと一緒になった。
「どうだった?」
「すんなり終わった。先生に『夏休みは好きに使いなさい』って言われた」
「いいじゃん」
「……うん」
ミキは靴紐を結びながら「じゃあ夏休み、約束ね」と言った。
わたしは「うん」と答えた。
今度は、少し早かった。
